後日談の生き方

性欲を持て余し気味な私が、後日談のような人生をいかに生きるか研究するブログです。

男性について

私は大抵エロいことを考えて過ごしています。

古い記憶をたどると4,5歳くらいから

すでにエロいことへの興味が人一倍ありました。

今も1日最低1回はネットでエロ動画・漫画を探して見ています。

(2次元の方が欲望が露骨で興味深いです)

 

ちなみにエロ動画で注目するところは主に男性の腰使いです。

中の感覚を味わってる感じがするねっとりした腰使いと

フィニッシュに近い欲望を叩きつけてるかんじのする

激しい腰使いを見ているとゾクゾクします。

(本当は表情も見たいのですが、

いかんせん男性向けなので男性の表情が映ることはまれです)

 

電車に乗ると男性をジロジロ見て、

この人は性欲をむき出しにする時どんな顔になるのかなー

なんて妄想しています。

(エスカレーターで男性の後ろになるとおしりを舐め回すように見てもいます)

 

私は男性が好きです。

でも同時にとても憎いです。

それは嫉妬なのかもしれません。

 

例えば寝起きのままでもいざとなれば外に出ても平気な気軽さとか

 

いわゆる馬鹿なことしても

許されてしまう社会的な位置づけとか

 

身体機能の健やかな感じとか

 

セックスする時も身につまされて

妊娠への不安とか感じないある意味での鈍感さとか

 

その鈍感さは男性的うぬぼれと親しくて、

それはなんとなく社会的に認められていて

人生を前に進める推進力を発揮できがちなところがあるところとか

 

男性器および男性の性欲のポップな立ち位置とか

 

うらやましいです。

ねたましいと言ってもいいのかもしれません。

 

私は実のところ

男性は何気なく普段何を考えて生きているのか

さっぱり皆目検討もつかないと思っています。

 

わからないけど憧れる。手にはいらないけど気になる。

だから憎らしく思うのかもしれません。

 

 

なぜ私は人間の半分以上いるはずの男性がわからないのでしょうか。

 

私には気軽に話せるような異性の友だちはいた覚えがありません。

身近な存在であるはずの父も家庭にほとんどいない人でした。

 

事務的な会話か、異性として性欲を絡めた関係か

そのどちらかでしか男性と触れてこなかったのです。

 

同じ時代を生きている実情の男性はいつも私の世界の外にいる気がします。

(だから特に同年代から年下の男の子は何を考えているか

さっぱりわからないので怖くて関われません)

 

私の世界の外にいる男性と私が繋がれる鍵

それは性欲です。

 

自分に欲情している男性は私にも理解できます。

 

「あ、今キスしたそうとか」

「この言い方と雰囲気はセックスしたいんだ」とか

 

ナマの男性の思考に触れられる気がします。

 

だから私は男性が普段の顔から

カチッと目の奥の色が変わるというか

セックスしたいっていう生のオスの顔が覗く瞬間が

一番劣情を掻き立てられます。

 

それはさっきまですましていたのに

結局全てはセックスをするためだったのというおかしさもあり

初めてその人の実在を捉えられたという愛おしさもあり

憧れの「男」の現実を覗き見れたという達成感もあり

 

とても興奮するのです。

 

だから後日談のような人生でも

男性に対する興味は尽きないのです。

 

さらには男性と関わりたいという思いが

少ない気力のうち大半を占めるのではと思います。

 

男の人が知りたいです。

男の人の実情が少しでも掴める位置にいられる資格を得たいです。

だからもっと選ばれる魅力を持ちたいです。

(つまりモテたいです)