後日談の生き方

性欲を持て余し気味な私が、後日談のような人生をいかに生きるか研究するブログです。

ブログが持つ力、それは

ブログを書くって不思議です

掴みどころがないようで

やはり他の行為とは異なる力があるように思います

 

というのも

私は物心ついた時から

主観として生きるのがどうも難しく、苦々しく思え

自分は生きるに値しない人間だと思っていました

(もちろん瞬間では楽しいこと、

生きていてよかったと思うこともありましたが

まるで影のように、そっと静かにしかし離れず

生きていることへの罪悪感はついて回りました)

 

19歳くらいから現実生活も

いよいようまくいかなくなりだして

四六時中、自殺することを考えながら過ごし始めたのです

 

それはとても苦しいことでした

 

カウンセリングなども通いましたが

どうも自分をさらけだすのが怖く効果がないように思いました

 

それならば

人に伝えるという緊張から離れて

その苦しみを文章にして客観的にとらえたら

少しは苦しみが和らぐかもしれないと思い

自分の行動と心の動きを日記につけ

文章に残してきたのです

 

ただそれに効果はありませんでした

私はずっと自分のことを自分に向けて考え、書いていたので

どんどん自己憐憫が強くなるばかりでした

 

生きるに値しないという思念が膨らんでいって

苦しみは耐え難く生きているかぎり続くものだと

思うようにさえなったのです

 

いくら自分にだけ向けて書いても

妄想が強くなるだけで期待していた効果はなかったのです

 

このブログも相変わらず

自分のことを考えて自分のために書いています

 しかし日記に書くこととブログに書くことは全く別でした

 

ブログを始めるときは

どうせブログなんてしたって何も変わらないだろうと思っていました

私は「誰かが読んでいる」という意識を舐めてかかっていたのです

 

ブログに載せ、アクセス解析に黄色いラインが入り、星がつき、コメントが付く

 

そうしていくうちに

私の中にど真ん中で黒々と渦巻いていた感情が

すっと熱が引いたように私から離れて感じられたのです

しつこい苦しみが

どこか遠くのことのようにとらえられる時間が多くなりました 

 

さらにずっと

「したい、しなければ」と思うだけで

しない理由をこねくりまわすだけの日々が少しずつ変わってきました

ブログに書く、それだけで

具体的な拘束力はないのに、なぜか踏ん切りがつくのです

就職活動をすることも

ブログに書かなければ行動にだせなかったでしょう

 

現実には知らない誰かが

現実では隠そうと必死になっている個人的で深い部分を知っている

みっともない、自分でも認めたくない一面を知っている

 

この特殊な距離感と関係性

それはそこはかとなく、しかし確かな力があるように思います

 

ブログでなく例えばツイッターならば

関係性は近すぎるところがあるくせに

どれくらいの人が実際読んでいるのか不確かすぎるし

(そもそも長文に向いていない)

またmixiのように

現実世界まで引きずった上でどこの誰が

何時に何回読んだのかまでわかるのは息苦しすぎます

 

私はブログを選ぶことができて

はてなブログを選べたことも大きいと思います)

そして始めるきっかけがあってよかったです

 

ブログには不思議な力があると思います