後日談の生き方

性欲を持て余し気味な私が、後日談のような人生をいかに生きるか研究するブログです。

虚しさの中で欲望は肥大化します

ああ、その通りです。

私はただ、虚しいのです。

さっき偶然みつけて、視聴しました。↓


テレフォン人生相談の放送内容があまりにひどい件 ‐ ニコニコ動画:GINZA

 

 

小学5年生の時、

性的内容を主題にした漫画を友達から借り、

返そうとランドセルに入れていたはずなのに

 

なぜか母親がそれを見つけていて

「この本は、この内容はなんだ」と問い詰められ、

お前には失望した、そんなのは私の子供ではない

ショックだ、傷ついた

というような言動でなじられ

涙ぐみ、うなだれるばかりの母親を見ながら

 

どこにも行き場がないような気持ちを思い出しました。

 

 

高校生の頃何もかもやる気がなく、

人間関係も行き詰まり

学校でも居眠りばかりして

しょっちゅう呼び出されていた時

 

ひまつぶしとやりきれなさをまぎらわせるために

JKブランドを売りに様々な男を携帯サイトで釣っていた時、

釣りメールの中身を読まれてしまい

問い詰められた時、

 

自分があまりにも惨めで滑稽に感じられ

一晩中笑いの発作のようなものが止まらずにいた気持ちを思い出しました。

 

母親に私個人が一人の人間として

母親の従属物でなくなっていく過程を悟られるたび

 

責め立てられ

 

自分の存在に罪悪感を感じ

 

お前のためだという主張で私を縛る母親を

心底憎みつつ依存し

中途半端な自立したいという自我をもった自分を

呪いつつ、持て余しつつ生きていました。

 

(このようなエピソードは思い出せばさらにたくさんあります)

 

性的なことをするのは

やっぱりどうしても

根本的に罪深いことだと思っているふしがあり、

だからこそ、私はそこに固執しているのだなと

思い当たってしまいます。

 

私に関する全ての価値は

認められません。

 

自分が価値がある個として尊重されるべき人間だと

根源的に腑に落ちたことがないのです。

 

おそらく物心のついた5歳くらいから。

 

 

ただ、

「肉」としての価値は信じられる。

 

自分が異性にどう振る舞えば

性的興奮を煽ることができるのか

性的魅力を感じさせられるのか

それは信じられます。

 

本当にただのステレオタイプの

ありふれたメンヘラクソビッチ、

正しくはかまってブスクソビッチなのですが

 

(最近、

「メンヘラとは美少女を指す言葉で、美少女でないメンヘラはかまってブスと呼ぶべきだ」

という言葉どこかで見かけました。

まったくその通りだと思います)

 

やっぱり苦しい物は苦しいし

乗り越えられないものは乗り越えられないし

虚しくてやりきれなくて、

性的に求められていると安心してしまう自分がいます。

 

今でも性的なにおいを絡められない男性と接するのは

どう接していいかさっぱりわかりません。

(さらに言えば、自分がリラックスして接するためだけに

性を匂わす態度をわざととってしまいます。)

 

まして女性ともしっくりこないし

 

ただただ生きづらくてしょうがないです。

 

でもまだ死なないので

生きて生きていきます。